前記事で 競馬予想AIを個人で作って勝つのはもう厳しい と書いた。書いた直後は気持ちよかったのだが、しばらく経って読み返すと、いくらなんでも投げやり過ぎたなと思い始めた。
容易な期待値が消えたのは本当だ。ただ、そこから「だからやめろ」に直結させると話が雑になる。控除率の前提、世間が思っているほど競馬市場はAI化していないという肌感、自分のバックテスト結果、それから昔から競馬で勝ち続けてきた人たちのこと。このあたりをちゃんと並べると、見え方はだいぶ違ってくる。前記事のフォロー記事として、もう少し丁寧に書き直しておきたい。
まず控除率の話を片付けておく
そもそも競馬の控除率は券種にもよるが、おおむね 20〜25% ある。これは胴元の取り分で、参加者全員はここから引かれた状態でスタートする。
つまり、何もせず適当に買えば長期で 20〜25% 削られる場所に立っている。これは市場が効率的かどうかとは別の、ただの構造的な話だ。「平均が負ける」のは市場のせいではなく、最初から決まっている。
ここを混ぜると話がぶれる。議論として面白いのは、この控除率の壁を超えるエッジが、特定の場面に残っているかどうか、だけだ。
市場全部がAIに食われているわけではない
前記事で「LLMが普及して競馬AIを作る人が増えた」と書いた。これ自体は事実だ。ただ「だから市場の票はもう機械の支配下にある」とまで言うと、たぶん言い過ぎだ。
実際の投票の大半は今でも、人気馬と有名騎手と直感で動いている。AI予想サイトもネット上にたくさんあるが、中身を見ると精度はそこまでではない。本当にスマートマネーが集まっているのは、G1 の単勝・馬連あたりの大きい流動性のところに偏っている。
逆に言うと、その「みんなが集まる中心」から離れた場所には、まだオッズの歪みが結構残っている。平場、地方競馬、それから三連単・三連複みたいに組み合わせが爆発する券種。資金が薄い場所ほど、AIでも人でも全部の組み合わせを舐めきれない。流動性の薄いところはオッズが雑、というだけの話だ。
自分のバックテスト結果が、ちょっとした反証になっている
ここで自分の話を一つ。同じモデル、同じ予測値を使ってバックテストを回したとき、券種によって回収率がはっきり分かれた。単勝と馬単はプラス、ワイドはマイナス、という結果だ。
もし市場が本当に完全に効率的なら、こうはならないはずだ。完全効率の世界では、旨味のある券種は即座に他の人にも見つかってオッズに織り込まれ、全券種の長期回収率は控除率と同じくらいのマイナスに揃う。
ところが現実には、券種をまたぐと回収率に差が出てしまう。これは要するに、券種ごとにオッズの織り込まれ方にムラがあるという話で、非効率がまだ残っている直接的な証拠になっている。前記事で「期待値はもう旨くない」と言い切ったのは、券種・場面・流動性の条件付きで成立する話だった、と訂正しておく。
昔から勝ち続けている人は、ちゃんといる
長期で競馬から利益を抜き続けた人は実在する。香港のビル・ベンターは数学的なアプローチでプール型賭式から長期利益を出した代表例だし、日本でも山内氏のように継続でプラスを維持した人がいる。
ここから「自分も同じ規模で勝てる」と読むのは無謀だ。彼らは膨大なデータと資金と時間を積み上げて、ようやくあの場所にいる。後追いで同じ穴を狙うのは現実的ではない。
ただ、「勝ち続けた人が現実に存在する」という一点は重い。競馬市場が完全効率仮説で説明しきれないことの、強い傍証にはなる。本当に可能性ゼロの場所だったら、長期で勝ちきった人は出ない。
掘る側に立つなら、詰めるべきは三つだ
ここまで整理した上で、それでも掘りに行くなら考えるべきポイントは、たぶん三つに絞られる。
ひとつめは Slippage、約定オッズのズレだ。自分の予測時点で見ていた最終オッズと、確定オッズとの差が大きいほど、計算上のエッジは削り取られる。前記事で書いた「単勝で 25% 近く下がる現象」がまさにこれで、エッジが残っていても約定の瞬間に蒸発するなら結局負ける。
ふたつめは、その非効率が「どこに」残っているかの特定だ。平場・地方・組み合わせの多い券種、というのは仮説のひとつでしかない。本当はもっと細かく、どのクラスのどの時間帯のどの競馬場で、自分のモデルが何を捉えているのか、を分解していくしかない。
みっつめはキャパシティの話。自分が突っ込める賭け金の上限はどこか、自分の投票で自分のオッズを何パーセント動かしてしまうか。流動性が薄い穴を狙うほど、この天井は容赦なく低くなる。趣味の範囲なら気にしなくていいが、本気で資金を増やし始めた瞬間、すぐにここに突き当たる。
容易な期待値はもうない、それは正しい。ただ、控除率を踏まえて、ニッチを特定して、Slippage を抑えて、キャパシティと相談しながら回す。ここまでちゃんと詰めれば、現代でも戦える余地は残っている。前記事の結論をひっくり返すわけではないが、もう少し正確に書くとこういう話だ。
ここから先は、やめるか掘るかの個別判断になる。私自身はと言えば、もう少し掘るほうに振る予定でいる。